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マツィアス1世の肖像

マツィアス1世独語:Matthias I、1557年2月14日 - 1619年3月20日(在位:1612年 - 1619年))は、ドイツ神聖ローマ帝国の皇帝。「マティアス1世」とも呼ばれる、

概要[]

オーストリアハプスブルク家のマクシミリアン2世(Maximilian II)とマリア・フォン・シュパーニエン(Maria von Spanien、一族のスペイン・ハプスブルク家のカール5世(マツィアスの大伯父)の娘で、マクシミリアン2世の従妹に当たる)との間の4男、ルドルフ2世(Rudolf II、生涯独身を貫く)の同母弟。正妻はアンネ(同じく一族のホーエンベルク家(ブルガウ家)のフェルディナント2世の娘)で、愛妾はカタリーナ・シュトラーダ(Katharina Strada)とオイフェミア・フォン・ローゼンタール(Euphemia von Rosenthal)ら。

しかし、マツィアス1世は家庭的に不幸が続き、嫡子のマツィアス2世と庶子のカール6世らが父より先立って夭折し、庶子で自分の後継者に定めるつもりで、子がなかった兄のルドルフ2世の養子として差し出し、ドイツ王・イタリア王(ローマ王)に就任したオーストリア辺境伯のユリウス・ツェーザーも、嗣子がないまま先年に24歳の若さで父よりも先立った。

マツィアス1世自身ははじめオーストリア辺境伯&総督だった(辺境伯の爵位は子のユリウス・ツェーザーに譲った)。前々年に兄・ルドルフ2世の養子でもあり、わが子のドイツ王のユリウス・ツェーザーを失った悲しみを償うために、マツィアス1世はクーデター計画を練った。それは錬金術に嵌り、政治を顧みない怠惰な兄のルドルフ2世を1611年に退位に追い詰めるためで、はたしてルドルフ2世は弟のマツィアス1世に降伏して退位し、代わって翌1612年にマツィアス1世が即位した。

たったひとり生き残った末子(庶子)のマツィアス3世を後継者としてイタリア王(ローマ王)に指定するも、彼は幼少だったために、代わってマツィアス1世の従弟のボヘミア王・フェルディナント(後のフェルディナント2世ヴァレンシュタインを参照のこと)を後継者とした。

1619年にマツィアス1世は、ボヘミア(ベーメン)にて亡き息子のユリウス・ツェーザーの後を追うように63歳で逝去した(唯一生き残った子で、イタリア王・マツィアス3世もシチリア貴族の娘を娶ったが、1626年に子がないまま早世し、ついにマクシミリアン2世およびマツィアス1世の系統は断絶した。異説では、マツィアス3世の従父であるフェルディナント2世による毒殺説があるという)。

家族[]

  • アンネ(一族のホーエンベルク家(ブルガウ家)のフェルディナント2世の娘)
    • マツィアス2世(夭折)
  • カタリーナ・シュトラーダ(Katharina Strada)
    • カール6世(夭折):ハプスブルク家の皇帝に同名の「カール6世」(実質的には「カール7世」で、女帝のマリー・テレーゼの父であり、同時にハプスブルク=ロートリンゲン朝ロートリンゲン家)の家祖・フランツ1世シュテファンの岳父)がいる
    • アンネ・ドローテア(1580年 - 1624年)
    • ユリウス・ツェーザー(Julius Cä(ae)sar、1586年 - 1609年):オーストリア辺境伯・ドイツ王・イタリア王またはローマ王(※ローマ帝国の大将軍・ガイウス・ユリウス・カエザル(ゲイアス・ジュリアス・シーザー)を因み命名された)、伯父・ルドルフ2世の養子となる
    • マリー・ドローテア(1611年 - ?年、ウィーンの女司教?)
  • オイフェミア・フォン・ローゼンタール(Euphemia von Rosenthal)
    • マツィアス3世(末子、? - 1626年):ドイツ王・イタリア王・ローマ王、シチリア貴族の娘を娶るが嗣子がないまま逝去した
    • カロリーネまたはシャーロッテ(? - 1622年):オーストリア辺境伯女?、フランスのカントクロワ伯&ワスレー侯のフランソワ・トーマ・ペルノ(ブルボン家出身?)の夫人

関連項目[]

先代:
ルドルフ2世
神聖ローマ皇帝
1612年 - 1619年
次代:
フェルディナント2世
先代:
フェルディナント2世
オーストリア公
1608年 - 1619年
次代:
フェルディナント2世
先代:
ルドルフ2世
ハンガリー王
1608年 - 1619年
次代:
フェルディナント2世
先代:
ルドルフ2世
ボヘミア王
1611年 - 1617年
次代:
フェルディナント2世
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