中原氏(なかはらし)とは、日本の氏族。約4つの系統が存在する。
- 中原氏 (物部氏) : 物部姓十市氏の当主の十市県主大目(とおいち の あがたぬしおおめ)[1]を祖とする氏族[2]。同族に磯城氏などがあり、後世に公家や武家を問わずに、興原家・押小路家・平田家・勢多家・志水家・山口家・深尾家・栗津家・河村家・辻家・中川家・藤原氏(厳島神主家)・摂津氏(摂津中原家)・長野氏(長野中原家)[3]・宇都宮氏・豊後大友氏などの多くの一門を派生した。
- 中原氏 (皇別) : 宗室の弘宗王[9]を祖とする皇別氏族。仁寿元年(851年)に弘宗王の8人の子が姓(カバネ)の中原真人を賜った。しかし、貞観16年(874年)に弘宗王の孫の中原正基が勅命により、姓の清原真人に改称した[10]。公家として存続した。
- 中原家 : 壱岐中原氏とも呼ばれる。壱岐国の国造である卜部姓の伊伎氏[11]の当主の伊伎月雄[12]を祖とする氏族。公家として存続した。
- 中原氏 (阿倍氏) : 近江中原氏とも呼ばれる。本姓は企師姓阿倍氏流狭々山君の系統で、土御門家・繁原家・大黒家・幸徳井(かでい)家・近江布施氏・引田氏・近江菅野氏・沙々貴氏(阿倍氏流佐々木氏)[13]・奥州金氏[14]と同族である。近江国を拠点としたが、本貫は不詳。武家として存続した。
脚注[]
- ↑ 十市宿禰とも呼ばれる。
- ↑ 物部氏が十市氏の婿養子になって、その祭祀を引き継がれた説もある。
- ↑ 近江国愛智郡長野郷(現在の滋賀県愛智郡愛荘町長野大字)を拠点とした。
- ↑ 兼遠の父。
- ↑ 現在の長野県佐久市周辺
- ↑ 現在の長野県木曽郡木曽町
- ↑ 後裔に戦国時代の直江兼続(重光)が出た。
- ↑ 後裔に落合道久(左平次道次(榊原(小平次)清次の次男)の岳父)が出た。
- ↑ 天武天皇の7世の孫、舎人親王の6世の孫、栄井王の孫、豊前王の子、中原長谷雄・中原時宗・中原時弘・中原時正・中原篤時の父。
- ↑ 『日本三代実録』貞観16年2月23日条
- ↑ 臣別の壱岐氏とは別系統である。
- ↑ 伊伎是雄の子。
- ↑ 近江菅野氏の庶家。
- ↑ 庶家に昆久慈家があった。