京極高仲の肖像
京極 高仲(きょうごく たかなか、宝暦4年3月23日(1754年5月14日) - 文化8年1月13日(1811年2月6日))は、讃岐国丸亀藩の第5代目藩主。別称は高窮(たかゆき)、幼名は栄吉丸、法号は高中斎(こうちゅうさい)。官職は能登守/若狭守。
京極高豊の曾孫、高或(たかもち)[1]の孫、高矩[2]の子、高治の弟、高教[3]の兄、高行・高朗(高明とも、たかあき)の父、高美(たかきよ)[4]の祖父。
概要[]
江戸で生まれて、宝暦13年(1763年)に父が逝去したために、家督を継いだ。
安永9年(1780年)に、勘定奉行の村井忠左衛門を登用して銀札を発行した。
さらに備蓄米の法を制定し、窮民救済に努めた。
また、儒者の渡辺半八を登用し、学問所である正明舘を拡大して学問を奨励し、福島甚浦を建設して船舶の利便を図った。
江戸屋敷で病没した。享年58。嫡男の高行が早世したために、高行の弟の高朗がその後を継いだ。