佐竹 義武(さたけ よしたけ)とは、藤姓佐竹氏(常陸藤原氏)一門の武将。約3名ほど存在する。
- 久米義武 : 通称は又三郎。佐竹義治の子、今宮周義・義舜の弟、義信・政義の兄。1478年(文明10年)11月に、源姓佐竹氏(常陸源氏)一門の山入氏の当主の山入義知と激戦して、壮絶な戦死を遂げた。嗣子がなかったために、弟の義信が継いで、佐竹北家の祖となった。そのため、常陸久米氏は、義武一代限りであった。
- 佐竹義武 (佐竹西家) : 西義武とも呼ばれる。通称は六郎。佐竹義房の子。24歳の若さで逝去し、族弟の義方(族父の義秀の子)がその後を継いだ。
- 佐竹義武 (佐竹東家) : 東義武とも呼ばれる。佐竹義智[1]の子、義路(宇都宮武綱)[2]・多賀谷敦候(あつとき)[3]の兄。父に先立って早世したために、弟の宇都宮武綱が「佐竹義路」と改称して、その後を継いだ。