日本通信百科事典
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八島 重義(やまだ しげよし)とは、美濃源氏八島氏一門の武将。約数名ほど存在する。

  1. 八島重義 (八島重頼の子)八島重頼の子、重房[1]・重弘[2]の兄、重助(重資)・重高の弟、重信・隆円(僧侶)の兄。
  2. 山田重義 : 庶家の美濃山田氏一門。約3名ほど存在する。
  3. 竹中重義 : 別名は重興/重次。庶家の美濃木田氏竹中氏一門。豊後国の府内藩の初代藩主の竹中重利重隆)の子、重就(源三郎)の父、同時に半兵衛重治(重虎)の従子でもある。父の後を継いで、将軍の徳川秀忠から重用されて、長崎奉行となってキリシタンを弾圧した。その反面、平戸のオランダ商館長の手紙による「彼が幕府にしか発行できない朱印を勝手に発行して東南アジアとの密貿易に手を貸している」と告訴を受けて、秀忠が逝去すると、解任されて改易された。まもなく秀忠の嗣子の家光と老中の松平信綱によって捕らわれて、江戸に連行された挙句に、子の重就とともに浅草の海禅寺で切腹介錯に処されて、晒し首となった。

関連項目[]

脚注[]

  1. 重清・重満の父。
  2. 重光・重季の父。
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