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劉琮(りゅう そう)とは、中国のの皇族・宗室かつ宗族、および非皇族。約5名ほど存在する。

  1. 劉ソウ (沛王)後漢世祖光武帝劉秀)の7世の孫、沛献王の劉輔の6世の孫、釐王の劉定の玄孫、節王の劉正の曾孫、孝王の劉広の孫、幽王の劉栄の子、恭王の劉曜の父、崇徳侯の劉契の祖父。「孝王」と諡された。
  2. 劉ソウ (後漢) : 荊州牧の劉表の次男で末子、劉琪劉琦)の異母弟、劉脩(劉修)[1]の従兄、劉磐(劉延)・劉虎の族兄弟に当たる。生母は不詳、妻は継母の蔡氏と蔡瑁姉弟の姪[2]。208年秋に曹操に降り、後に青州刺史となり、後に諌議大夫・参同軍事に任命された[3]
  3. 劉ソウ (蜀漢) : 別称は「劉綜」。蜀漢)の烈祖穆帝劉備の孫、後主懐帝劉禅の子、太子兼梁王の劉璿劉濬)・安定王の劉瑶(劉揺)の異母弟、新平王の劉瓚(劉瓉/劉讃)・北地王の劉㻣劉諶)・新興王の劉珣(劉恂)・上党王の劉璩(劉琥/劉虔)の異母兄。252年に西河王に封じられる。262年春正月~3月ころに若くして没した。
  4. 劉ソウ (成化期) : 明の進士。吉安府安福県[4]の人。劉元遠の曾孫、劉仲文の孫、劉仕綱の子、劉瑜の弟、劉璨の兄。
  5. 劉ソウ (景泰期)の進士。西安府邠州彬県[5]の人。劉譲の孫、劉文貴の子、劉昭の父。

脚注[]

  1. 字は季緒。劉表の弟の子。官職は東安郡太守に至った。詩・賦・頌六篇を著し、同時に楊脩(楊修)の文作を批判した(『魏書』陳思王植伝)。
  2. 蔡氏と蔡瑁姉弟の兄の蔡𤪠(字は仲珪/和珪)の娘。
  3. 裴松之が引く『魏武故事』より。
  4. 現在の江西省吉安市安福県
  5. 現在の陝西省咸陽市彬県

関連項目[]