日本通信百科事典
Advertisement

劉友(りゅうゆう)とは、宋漢(劉宋)の皇族・宗室。約3名ほど存在する。

  1. 劉友 (趙王)高祖劉邦の第6子で生母は某氏、斉悼恵王の劉肥恵帝(劉盈)・趙隠王の劉如意太宗文帝(劉恒)の異母弟、趙共王の劉恢の同母弟、淮南厲王の劉長・燕霊王の劉建の異母兄、厲王の劉遂・河間文王の劉辟彊劉辟強)の父。前181年に嫡母の呂后(呂雉)によって強引に娶らせた呂氏一門の正室を疎み、側室を寵愛したため、激怒した呂后によって幽閉されて餓死した。「幽王」と謚された。
  2. 劉友 (シ川王) : 菑川懿王の劉志の7世の孫、靖王の劉建の6世の孫、頃王の劉遺の玄孫、思王の劉終古の曾孫、考王の劉尚の孫、孝王の劉横の子、靖王の劉永の父。「懷王」と謚された。
  3. 劉友 (宋漢)宋漢(劉宋)の皇族。字は仲賢。太宗明帝(劉彧)の第7子、太子劉昱(後廃帝)・劉法良・安成王の劉準・劉某・東平王の劉智井・晋熙王の劉燮(劉爕)の弟、邵陵殤王の劉友・江夏王の劉躋・武陵王の劉賛・随陽王の劉翽・新興王の劉嵩・始建王の劉禧の兄。異母兄の劉昱によって邵陵王に封じられた。安南将軍・豫州刺史を歴任した。嗣子がなく国は除かれた。「殤王」と謚された。

関連項目

Advertisement