日本通信百科事典
Advertisement

劉喜(りゅうき)とは、の皇族・宗室。約8名ほど存在する。

  1. 劉喜 (代王) : 字は。泗水郡(四川郡)沛県豊邑中陽里[1]の人。豪農であった始祖大帝の劉煓/劉煜(字は執嘉[2]と昭霊皇后の王含始[3]との次男で、劉伯こと劉纏(羹頡武哀王)[4]の弟、劉邦高祖)の兄、劉賈(荊湣王)・劉交(楚元王)兄弟の従兄弟、劉沢劉澤/瑯琊王 → 燕敬王)の又族兄、劉濞[5](呉厲王)・劉広(沛徳哀王)の父。前201年に代王に封じられるも、トルコ系匈奴の軍勢と戦って、惨敗したため郃陽侯に降格された。前193年に逝去し、「頃王」と謚された。
  2. 劉喜 (城陽王) : 城陽景王の劉章(劉邦の庶長子・斉悼恵王の劉肥の次男)の嫡子、頃王の劉延・雷侯の劉稀・東莞侯の劉吉・辟節侯劉壮・利郷康侯の劉嬰・有利侯の劉釘・東平侯の劉慶・運平侯の劉欣(劉訢)・山州侯の劉齒・海常侯の劉福・鈞丘侯の劉憲・南城侯の劉貞・広陵常侯の劉表・荘原侯の劉皐の父、敬王の劉義の祖父、恵王の劉武の曾祖父。「共王」(恭王)と謚された。
  3. 劉喜 (葉平侯)成祖景帝(劉啓)の第7子である長沙定王の劉発の子、戴王(康王)の劉庸・安城思侯の劉蒼・冝春侯の劉成・句容哀侯の劉黨・容陵侯の劉福・路陵侯の劉童・攸輿侯の劉則・荼陵節侯の劉欣(劉訢)・建成侯の劉拾・安衆康侯の劉丹の弟、夫夷敬侯の劉義・舂陵節侯の劉買、都梁敬侯の劉定・洮陽靖侯の劉狩燕・衆陵節侯の劉賢の兄。葉平侯に封じられた。
  4. 劉喜 (高平侯) : 景帝の第9子である中山靖王の劉勝の子、哀王の劉昌・広望節侯の劉忠・将梁侯の劉朝平・薪館侯の劉未央・陸城侯の劉貞(劉真)・薪処侯の劉嘉・陸地侯の劉義・臨楽敦侯の劉光・東野戴侯の劉章の弟、広川侯の劉頗・乗丘節侯の劉将夜・高丘哀侯の劉破胡・柳宿夷侯の劉蓋・戎丘侯の劉譲・樊輿節侯の劉脩・曲成侯の劉万歳・安敦于侯の劉伝富・安険侯の劉応・安道侯の劉恢・澎侯の劉屈氂の兄。高平侯に封じられた。
  5. 劉喜 (沂陵侯) : 景帝の第11子である広川恵王の劉越の子、穆王(繆王)の劉斉・蒲領侯の劉嘉・西熊侯の劉明・棗彊侯の劉晏・畢梁侯の劉嬰・参鬷侯の劉則の弟。沂陵侯に封じられた。
  6. 劉喜 (観津侯) : 字は共仲。鉅鹿郡昌城県[6]の人。趙敬粛王の劉彭祖成祖景帝(劉啓)の第5子、世宗武帝(劉徹)の異母兄)の末裔とされ、劉植の弟、劉歆の従兄。同族の世祖光武帝(劉秀)に仕えて、驍騎将軍となり、観津侯に封じられた。「雲台二十八将」のひとりで、彼の末裔の有無は不詳。
  7. 劉喜 (斉王) : 斉武王の劉縯の6世の孫、哀王の劉章の玄孫、殤王の劉石の曾孫、煬王の劉晃(蕪湖侯)の孫、恵王の劉無忌の子、劉承の父。「頃王」と諡された。

脚注[]

  1. 現在の江蘇省徐州市沛県
  2. 『史記索隠』などが引く王符・皇甫謐の言による(ただし、の顔師古はこれを懐疑している)。
  3. 『史記索隠』・『史記正義』が引く皇甫謐の言より(これも顔師古が懐疑している)。
  4. 羹頡王・劉信の父。
  5. はじめは沛侯。
  6. 現在の河北省唐山市豊南県

関連項目[]

Advertisement