劉沢(りゅうたく)とは、漢の皇族・宗室かつ宗族、および非皇族で、約5名ほど存在する。「劉澤」とも表記される。
- 劉沢 (燕王) : 泗水郡沛県豊邑中陽里[1]の人。高祖・劉邦の又従弟、あるいは族弟[2][3]。康王・劉嘉の父、煬王・劉定国の祖父。分家筋の劉邦に従い、営陵侯を経て瑯琊王となり、前180年に年老いた劉沢は呂氏誅滅に功績を残して、燕王に累進した。敬王と謚された。哀帝(劉欣)の代に、劉沢の末裔である劉帰生(劉定国の弟の系統)が営陵侯に封じられたが、漢を滅ぼした新の王莽によって誅殺された[4]。
- 劉沢 (高楽侯) : 斉の孝王の劉将閭(劉将盧とも、斉の哀王の劉襄の次子、文王の劉則の異母弟)の孫、高楽康侯・劉某の子。前86年に、族子の劉長(中山靖王の劉勝の孫)とともに燕剌王の劉旦(世宗武帝(劉徹)の第3子)の乱に参戦したため、従祖父の缾侯の劉成[5]が青州刺史の雋不疑に告訴したことによって逮捕されて、処刑された。
- 劉澤 (雩殷侯) : 城陽頃王の劉延の子、敬王の劉義・麥侯の劉昌・鉅合侯の劉発・昌侯の劉差・蕢侯の劉方の弟、石洛侯の劉敬・扶浸侯の劉昆・吾挍侯の劉覇・朸侯の劉讓・父城侯の劉光・庸侯の劉譚・翟侯の劉寿(劉壽)・鱣侯の劉応・彭侯の劉偃・瓡侯の劉息・墟水侯の劉禹・東淮侯の劉類・栒侯の劉買・涓侯の劉不疑の兄。雩殷侯に封じられた。
- 劉澤 (元) : 元の官吏。漢人世侯出身。東平府斉河県[6]の人。劉通の孫、劉復亨の子、劉浩の弟、劉澧・劉淵・劉淮の兄。科挙に及第した[7]。
- 劉澤 (清) : 字は友宗。清の政治家。長沙府[8]あるいは常州[9]の人。云溪居士と号した。
脚注[]
関連項目[]
- 劉邦
- 武帝