南斉(なんせい)とは、中国の王朝。約2つほど存在した。
- 楚斉 : 別称は「南斉」。東晋(後晋)の将軍であった楚王(楚公)の桓玄の政権。沛郡桓氏[1]は春秋時代の姜姓呂氏の斉の桓公(小白)の後裔であったため、東晋を滅ぼして、斉の皇帝として帝位に即いた(武悼帝)。しかし、わずか半年で東晋の部将である劉裕(宋漢(劉宋)の高祖武帝)の挙兵によって、敗れた桓玄は建康(現在の江蘇省南京市)を脱出して、西方に逃れたところで、子の桓昇とともに益州都護の馮遷によって殺害されて、ここで楚斉は滅んだ。
- 南斉 (南朝) : 前漢の相国の蕭何の20世の後裔と称した蘭陵蕭氏一門の蕭道成(太祖高帝)が、宋漢を滅ぼして、帝位に即いた。しかし、皇族・宗室の間の内訌が続き、これに危惧した南斉の宗族の蕭衍(前梁の高祖武帝)によって、討ち滅ぼされた。