唐(とう)とは、中国の地名。本来の地域は現在の山西省臨汾市翼城県にあったが、後に河南省南陽市唐河県~湖北省襄陽市棗陽県あたりに移封した(春秋時代の唐のみ)。
- 唐 (三代) : 古代の帝尭(姚姓)が建国てたといわれる伝説上の王朝で陶唐とも呼ばれた(帝尭には長男の丹朱がいたが、これを胤の君主に封じて、「姚姓」による世襲は認めなかったという)。殷=商代まで続き、代々が唐君と称した。紀元前1021年ころに周(岐)の成王(季誦)が即位して、間もなく反乱を起こしたので、摂政である魯の周公旦(成王の叔父)がこれを討伐して滅ぼした(『史記』晋世家)
- 唐 (春秋) : 姫姓。上記の唐が周公旦によって滅ぼされた後、成王の同母兄・唐叔虞(太公、字は子于)が封じられた国
- 唐 (王朝) : 鮮卑化したトルコ系高車大野部(または伏利部/叱李部)の系統[1]で、漢化した李氏(高祖・李淵)が建国した王朝。907年、後梁の太祖・朱全忠によって滅ぼされた
- 後唐(923年 - 936年) : トルコ系突厥沙陀部朱耶(朱邪)氏族の太祖武帝・李克用[2](独眼竜)が建国した王朝。李克用は後唐を建国する前に、晋王であったためにこの王朝は「晋唐」とも呼ばれた。
- 南唐(937年 - 975年) : 五代十国時代に江南に割拠した国。烈祖先主の李昪(徐知誥)[3]が建国し、はじめは斉と称したために、「斉唐」とも呼ばれる。五代十国の中では最大の勢力を誇ったが、漢化した突厥系とされる華北の後周の世宗(柴栄)および宋(北宋)の太祖(趙匡胤)らの討伐を受けて滅亡した。文化的・経済的には大いに繁栄していた
- 唐 (明) : 明代に存在した政権。約2つほどあった