土岐 頼勝(とき よりかつ)とは、陽成源氏(摂津源氏)流土岐氏(美濃源氏)一門の武将。約3名ほど存在する。
- 肥田頼勝 : 美濃肥田氏の当主の肥田光時[1]の11世の孫、光房(浅野次郎)[2]の10世の孫、光保(浅野孫次郎/三郎)[3]の9世の孫、光慶(顕智入道/浅野小三郎)[4]の8世の孫、光興(浅野彦五郎)[5]の7世の孫、光洲(みつくに)の6世の孫、光康の玄孫、光勝の曾孫、勝道の孫、勝富の子、勝行(浅野弥三郎)の父、勝隆(浅野彦次郎/彦三郎/彦六郎)の祖父、勝長の曾祖父。明応4年(1495年)の『船田の乱』で、石丸方に与して大敗したために、美濃肥田氏の勢力は急速に衰退した。
- 江戸崎頼勝 : 通称は岡見次郎。土岐政房(頼継)の孫、江戸崎氏(常陸源氏)の当主の江戸崎治頼の子、治秀(治英)[6]の弟、天岩(僧侶)の兄。物部姓十市氏流中原氏の系統の宇都宮氏一門の常陸小田氏の庶家の岡見氏の当主の岡見治親[7]の娘を娶ったが、嗣子はなかったという。
- 土岐頼勝 (高家旗本) : 上記の土岐政房(頼継)の曾孫、頼芸の孫、頼次[8]の子、頼高・頼泰の兄、頼義の父。
脚注[]
関連項目[]
- 源頼勝