大島 義高(おおしま よしたか)とは、新田氏(上野源氏)流源姓里見氏の庶家の上野大島氏一門の武将。約2名ほど存在する。
- 大島義高 (三河国守護代) : 大島義政(義昌)の子、義世・守義・義之・守之の父、義量(義世の子)の祖父。父の死後に同族の足利尊氏(高氏)に帰順して、三河国守護代になったようである。1360年に義高は足利義満(尊氏の孫)の命を受けて、足利氏一門の畠山国清を救援して、おなじ足利氏一門の吉良満貞を撃破して、これを降した。
- 大井田義高 : 大井田氏(越後源氏)の当主の大井田義房[1]玄孫、義能(よしむね/よしたか)[2]の曾孫、義維(よしつな)[3]の孫、義記(よしふみ)[4]の子。嗣子がなく、ついに鎌倉時代から続いた大井田氏は断絶した[5]。