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大掾 清幹(だいじょう きよもと)とは、桓武平氏繁盛流大掾氏常陸平氏)一門の武将。約4名ほど存在する。

  1. 吉田清幹多気為幹(為基)の孫、繁幹の子、致幹の弟、石毛政幹常陸宗幹・小栗繁家(繁良)の兄、盛幹行方忠幹・鹿島成幹の父、幹清・石川家幹(盛幹の子)と鹿島政幹(鹿島成幹の子)の祖父。
  2. 東条清幹東條清幹とも呼ばれる。東条光幹の子、宗幹の父。
  3. 大掾清幹 (室町時代) : 上記の吉田清幹の末裔で、大掾頼幹の孫、持幹の子、忠幹(高幹)の父。
  4. 大掾清幹 (戦国時代) : 上記の大掾清幹の6世の孫、おなじく忠幹の玄孫、常幹の曾孫、慶幹の孫、貞国[1]の子。6歳で父が逝去したために叔父の良国(竹原次郎)が後見人となって父の後を継いだ。1591年に政敵の藤姓佐竹氏常陸藤原氏)の佐竹義重の陰謀によって、大掾氏一門のほとんどが常陸太田城で討ち取られた(『南方三十三舘主謀殺事件』)。観念した清幹は常陸府中城で火を放って自刃して果てた。享年19。ここで平安時代から続いた大掾氏は滅亡した。

脚注[]

  1. 良国の兄。