孫泰(そんたい)とは、古代中国の人物。約2名ほど存在する。
- 孫泰 (呉) : 呉の皇族。烈祖武帝の孫堅の孫、孫匡の子、孫秀の父、孫倹の祖父、孫某の曾祖父、孫晷[1]の高祖父、孫権の甥にあたる。234年に長水校尉として伯父の孫権に従軍して、魏の合淝(合肥)を包囲したが、烈宗明帝(曹叡)が派遣した満寵の火計に嵌ってしまい、矢に浴びせられて、壮絶な戦死を遂げた。
- 孫泰 (晋) : 字は敬遠。瑯琊郡(現在の山東省濰坊市諸城県)の人。東晋末期の道教系の五斗米道の最高指導者。孫恩の叔父。五斗米道の杜炅に師事して、その基盤を受け継いだ。次第に彼を崇める民衆を利用して命運が尽きかけた東晋を打倒する計画を目論んだが、会稽郡の内吏である謝輶が孫泰の反乱を東晋の皇族である会稽王の司馬道子に告げたので、彼は捕えられて処刑された。
脚注[]
- ↑ 字は文度。39歳で逝去し、嗣子はなかったという。