孫登(そんとう)とは、古代中国の人物。約3名ほど存在する。
- 孫登 (新) : 新の群雄。かっては王莽に仕えたが、離脱して独立した。漢の更始帝の劉玄が蜂起したが、後に赤眉軍の部将のひとりの謝禄が、後難を恐れた更始帝の部将の張卭に唆されて、謝禄は孫登に命じて、彼の配下が更始帝を縊り殺した。まもなく、更始帝の族弟の劉秀(後漢の世祖光武帝)の軍勢に包囲されて、力尽きて降伏した。
- 孫登 (呉) : 字は子高。呉の太祖大帝・孫権の長子、孫慮(建昌侯)・孫和(廃太子/南陽王/文帝)・孫覇(魯王)・孫奮(斉王)・孫休(景帝)・孫亮(廃帝/会稽王)の異母兄、孫璠・孫英・孫希の父。幼いころから聡明で、229年に父が呉の皇帝になると太子となるが、241年に父に先立って34歳で逝去した。「宣太子」と謚された。
- 孫登 (晋) : 東晋の隠者。太原郡中都県[1]の人。魏の驃騎将軍・孫資の6世の孫、孫宏の玄孫、孫楚の曾孫、孫纂[2]の孫、孫統[3]の子、孫騰の弟。仕官せずに隠者として貫いた。