常陸平氏(ひたちへいし)とは、常陸国を本貫とした日本の氏族。約2系統がある。
- 大掾氏 : 桓武平氏繁盛流の系統で常陸国大掾を勤めたことから、官名を氏とした。庶家に伊勢関氏(伊勢平氏)[1]・越後奥山氏(越後平氏)・越後城氏(越後平氏)・梁田氏(下野平氏・下総平氏)・多気氏[2]・肥前伊佐氏(鎮西平氏)・平姓那珂氏など数多く輩出した。戦国時代に豊臣秀吉の承認を得た天敵の藤姓佐竹氏(常陸藤原氏)の当主の佐竹義重によって、1591年2月に常陸太田城で、惣領家の大掾清幹を中心とする大掾氏一門の殆どが遠縁筋の常陸武田氏の当主の武田信房とともに、偽りの宴会場で謀殺されて、ついに滅亡した(『南方三十三舘主謀殺事件』)。
- 篠田氏 : 平姓を冠とした丹姓将門流の系統で平将国(将門の嫡子)を祖とする。同国篠田(信田)郡(現在の茨城県土浦市/牛久市/稲敷市などの霞ヶ浦周辺)を拠点とした。
脚注[]
- ↑ 庶家に伊豆山木氏があった。
- ↑ 庶家に芹沢氏・常陸吉田氏(庶家に越中吉田氏(越中平氏)・常陸鹿島氏(庶家に徳宿氏・神谷戸氏・常陸林氏・常陸立原氏・常陸中居氏・常陸梶山氏・沼尾氏・安房氏・烟田氏があった)・常陸行方氏(庶家に常陸小高氏・常陸島崎氏・常陸麻生氏・手賀氏(鳥名木氏)・常陸長山氏・倉川氏があった)・常陸石川氏(庶家に常陸馬場氏・常陸田山氏があった)があった)・常陸石毛氏(庶家に常陸豊田氏があった)・常陸氏・常陸小栗氏・下妻氏・常陸東条氏(常陸東條氏)(庶家に常陸太田氏(平姓太田氏)があった)・常陸真壁氏(庶家に美濃真壁氏(美濃平氏)・常陸北氏・常陸西氏・常陸南氏・常陸東氏・常陸長岡氏・西舘氏・新白井氏・椎尾氏・古宇田氏・源法寺氏があった)・常陸村岡氏(庶家に常陸笠間氏(平姓笠間氏)があった)があった。