
平善棟(善棟王)像
平 善棟・善棟王(たいら の よしむね/よしむねおう、804年(延暦23年)? - 829年7月26日(天長6年6月22日)は、平安時代前期の皇族。官位は従四位下・正親正。桓武平氏(公家平氏)の祖のひとり。
父は葛原親王(かずはるしんのう、桓武天皇の第5皇子)、生母は藤原道雄(藤原北家)の娘。同母兄は高棟王[1]、異母弟に高視王(高見王/高望王)がいる。妻は不詳、子に善望がいる。
概要[]
825年8月(天長2年閏7月)に、父・葛原親王による再度の抗表により、叔父の淳和天皇の勅命で従四位下・正親正を叙爵し、同時に兄の高棟王らとともに平姓を賜り、臣籍降下した[2]。
善棟は4年後の829年(天長6年)に、26歳の若さで逝去した。子の善望がその後を継いだ。善望が亡くなると、その子の忠望[3]が後を継いだ。忠望が亡くなると、その子の頼望が後を継いだ。頼望が亡くなると、その子の常望(恒望/経望)が後を継いだ。常望が亡くなると、その子の長望(永望)が後を継いだ。長望が亡くなると、その子の兼望が後を継いだ。しかし、兼望には嗣子がなく、ついに善棟流の公家平氏は断絶した。