
平良広(良弘)像
平 良広・良弘(たいら の よしひろ、生没年不詳)は、平安時代中期の武将。通称は安房三郎、または安房四郎。丹姓平氏平直良の3男、または4男で、生母は家女房[1]である。同母兄は良兼、異母兄は良将、異母弟は良文である。同時に将門の叔父でもある。
概要[]
898年(昌泰元年)に義理の伯父[2]の高望王が上総介に任じられると、彼の子である国香王(平良望)を、目代として上総国に派遣し、その際に良広の兄の良兼・良将らも国香王に随伴する形で坂東地方に赴いた。
ただし、良広は中流貴族の紀夏井の娘を娶っていたので、京にとどまって兄たちと同伴しなかった。
しかし、過去の866年(貞観8年)の『応天門の変』で岳父の紀夏井が皇室の外戚である藤原氏との権力争いに敗れて、土佐国に流罪されたが、その夏井が流罪地で逝去したとの報があり、京に絶望した良広は900年(昌泰3年)前後に、坂東地方に下った。その後、義理の従兄である国香王によって、安房国を与えられて、亡くなるまで支配した。
彼の没年は不詳である。また息子が大勢いたが、良広の系統は子の代で断絶したようである[3]。
家族[]
- 妻 : 紀夏井の娘
- 良兌(良忩)
- 良房
- 良憲
- 良利
- 良生
- 良詮
- 良経(良恒)
- 良充
- 良直(良貞)
脚注[]
関連項目[]
- 平氏
- 安房国