張済(ちょうさい/ちょうせい)とは、中国の部将である。約3名ほど存在する。
- 張済 (司空) : 字は元江。汝南郡蔡陽県[1]の人[2]。後漢の司空。前漢の張耳の末裔[3]、後漢初期の功臣の張充の6世の孫、光禄勲・張酺(字は孟侯)の曾孫に当たる。張蕃の孫、張磐の子[4]。張喜の兄。張根の父。
- 張済 (驃騎将軍) : 武威郡祖厲県[5]の人。後漢末の部将で、魏の破羌将軍・張繍の族父、張姜子(女性)の兄[6]。董卓に仕え、驃騎将軍に任命された。李傕・郭汜とともに皇室の外戚である安集将軍の董承と戦うが、董承らと組んだ曹操に敗れた。196年に南陽郡穣県[7]に攻撃して、荊州牧の劉表の軍勢が放った矢を受けて戦死した。
- 張済 (北魏) : 字は士度。西河郡の人。トルコ系鮮卑拓跋部の北魏の部将で、同じ鮮卑慕容部の西燕の驍騎将軍の張千秋の子、張多羅の父。父とともに北魏の太祖道武帝(拓跋珪)に仕えた。