新田 時綱(にった ときつな)とは、陽成源氏(河内源氏)流新田氏(上野源氏)一門の武将。役2名ほど存在する。
- 鶴生田時綱 : 通称は孫三郎、法名は時常入道(じじょうにゅうどう)。合土義澄(額戸経義)の孫、義賢(額戸氏経)の子、政氏(氏綱)・長岡経氏[1]の弟、政綱・庄田頼持の父、頼政(政頼とも、頼持の子)の祖父、政重の曾祖父。鶴生田氏・上野庄田氏の祖となった。永仁3年(1295年)に、年老いた時綱は赤城神社を自領の上野国新田荘鶴生田郷[2]に懇請して、社殿を建立した。
- 田中時綱 : 源姓里見氏流上野田中氏一門の田中政綱[3]の子、経勝の父。
脚注[]
- ↑ 経政の父、長義の祖父、義基の曾祖父、長親の高祖父。
- ↑ 現在の群馬県太田市鶴生田町
- ↑ 義房・重村・親経の弟。
関連項目[]