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(しん)とは、中国の地名。国名・王朝名としての晋は現在の山西省忻州市寧武県の管涔山を源流とする汾河付近を中心とした地方。

  1. 晋 (春秋)(紀元前1100年頃 - 紀元前376年):周初~春秋時代までの国。その家祖は古代トルコ系翟(白狄)の狐氏出身の武侯寧族の太公虞の外孫、太公の孤燮父(孤爕父)の子)が外従兄弟の唐侯遂(唐叔虞の孫、丁公燮(爕)の子)を武力で追い出し、(岐)の昭王(もしくはその子の穆王(繆王))によって特例として、武侯寧族が母方の「姫姓」[1]を賜り、晋の建国が認められた(陳舜臣の説)。紀元前378年に「三晋」として、(晋の分家)[2](周王室の一族)・と同族、嬴姓)に分割されて、翌々年に滅んだ。庶家に祁氏[3]・欒氏・羊舌氏・郤氏・先氏・韓氏などがあった
  2. 晋 (王朝)(265年 - 316年・317年 - 419年):高祖宣帝司馬懿が実質上に立てた王朝[4]。そのうち西晋(前晋)は316年、五胡十六国時代の戦乱によって滅び、南下した東晋(後晋)は、中国南部を支配したが、419年に宋漢(劉宋)の高祖・劉裕に滅ぼされた
  3. 後晋(936年 - 946年):五代十国時代の王朝。トルコ系突厥沙陀部出身の高祖・石敬瑭が建国
  4. 後唐の別称の「晋唐」のこと。上記とおなじくトルコ系突厥沙陀部出身の太祖武帝・李克用が建国。

脚注[]

  1. あるいは嬛姓ともいう。
  2. 公孫万(韓武子)を祖とする。彼は曲沃の初代当主で、晋の公子成師(桓叔)の末子、公孫鱓(荘伯)の異母弟、武公称の叔父。
  3. この系統に後漢士燮が出た。
  4. 司馬懿は末の王・司馬卭の後裔のために、この王朝は「殷晋」とも呼ばれる場合がある。

関連項目[]

  • 弧射姑賈季/賈公明/賈子明とも呼ばれる。弧偃(咎犯/舅犯)の子。晋の大夫となった。環姓賈氏の祖。前漢初期のの郎中令の賈寿(賈壽)はその後裔という。
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