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曹喬

曹操の兄・曹喬

曹喬(そうきょう、生没年不詳)は、後漢末の人物。字は不詳[1]。『三国志』には登場しないが、『元本[2]には登場する。曹安民(諱は不詳[3])の父という。

太祖武帝曹操の異母兄で、曹嵩の嫡長子。生母は正室の丁夫人[4]で、異母弟に曹彬、曹玉、曹疾[5]ら。

概要[]

沛郡譙県[6]の人。曹家の長男で嫡子だったが、早世したため異母弟の曹操[7]が庶子の身でありながら、実質的に長男となり字を吉利から「孟徳」に改称したという。

子の曹安民は197年に従弟[8]曹昻[9]とともに、南陽郡宛県[10]に駐在した張繍討伐に従軍したが、張繍の参謀・賈詡の謀略によってともに戦死を遂げた。

220年、甥の太宗文帝が魏の皇帝に即位すると、生母の丁夫人は夫の曹嵩は大帝と追号されたのと合わせて「孝大皇后」と謚された。ただし、曹喬自身の称号は不詳である。

脚注[]

  1. 伯徳」とする説もある(『元本』(『元大徳九路本十七史』))。
  2. 元大徳九路本十七史』、元の大徳10年に池州路儒学によって刊行された『三国志』関連文献書。
  3. 魏書』武帝紀では曹操の弟の子。
  4. 曹操夫人の後孝武皇后・丁氏の従母という。
  5. 別称は曹徳、あるいは曹徳秋という。
  6. 現在の安徽省亳州市または、河南省永城市
  7. 生母は側室の夏侯夫人(夏侯惇の伯母)という。
  8. 曹喬から見れば甥。
  9. 曹操の嫡長子。
  10. 現在の河南省南陽市宛城区

関連項目[]

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