曹節(そう せつ)とは、『三国志』に登場する漢(後漢)末の人物。
- 曹萌[1]。 : 別称は「曹節」、字は元偉。沛郡譙県[2]の人。曹鸞(伯興)・曹褒(仲興)・曹鼎(叔興)・曹騰(季興[3])・曹勛[4](幼興/稚興)の父で、魏の太祖武帝・曹操の養曾祖父[5]。
- 献穆曹皇后(? - 260年) : 姓諱は「曹節」。曹操の娘。213年に姉の曹憲と妹の曹華とともに後漢の愍帝[6](劉協)の皇后として嫁いだ。
- 曹節 (宦官) : 字は漢豊。原籍は魏郡[7]、南陽郡鄧県[8]の人。曹破石の兄、東郡太守の曹紹の従父。後漢の霊帝(劉宏)[9]に仕えた宦官で、はじめは小黄門となった[10]。同じ宦官の王甫[11]ともに権勢を振る舞った。車騎将軍・大長秋を歴任した。彼は王甫・侯覧とともに霊帝の従父にあたる渤海王の劉悝[12]のことを霊帝に讒言して、これを自決に追いつめるほどであった。彼の一族の多くが列侯に封じられた。王甫のかつての配下で、対決した永楽少府の陳𡌋[13]・陽球が、旧主の王甫とその養子の王萌・王吉兄弟と、同僚の侯覧を逮捕投獄してこれを処刑したが、彼はその報復として、陳𡌋・陽球を解任・更迭をさせて、これを獄死に追い詰めた。その後、尚書令に累進して、181年に没した[14]。