朱褒(しゅほう)とは、中国の部将で、少なくとも2名が存在する。
- 朱褒 (蜀漢) : 蜀漢(蜀)の牂牁郡丞。諸葛亮が派遣した酷吏と恐れられた益州従事の常房(常頎)は「朱褒に異心あり!」と判断して、朱褒の配下の主簿を詰問した挙句にこれを処刑した。これに激怒した朱褒は常房(常頎)一味を殺害して、雍闓[1]・高定元らとともに朝廷に対して反乱を起こした。彼は牂牁郡太守と自称して、孟獲を擁立した。これを聞いた諸葛亮は朱褒をなだめるために、常房(常頎)の妻子を含む一族郎党を処刑したという。しかし、それでも朱褒の決意は固く、止むなく諸葛亮が別動隊として派遣した正式の牂牁郡太守・馬忠によって鎮圧された(その後は李恢を参照)。
- 朱褒 (唐) : 唐末の温州刺史。永寧(現在の浙江省温州市永嘉県)の人。朱涎・朱著(朱緒、字は膺明)・朱敖(朱傲)の末弟。静海軍節度使などを歴任した。日本の菅原道真と交流を持ったが、902年夏4月に病没した。