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李邕(りよう)とは、中国の人物で、約3名ほど存在する。

  1. 李ヨウ (北魏) : 字は脩繆(修穆)。頓丘郡[1]の人。北魏の部将である彭城公の李嶷の孫、彭城文烈公の李平の長子、李獎・李諧の弟。著作佐郎となり、高陽王の元雍の学友であり、俊英秀才で知られたが、26歳で早世した。
  2. 李ヨウ (北海郡太守) : 字は泰和。広陵郡江都県[2]の人。の官僚・文人。の昭明太子の蕭統[3]の『文選』の注釈で著名な李善の子、李岐(伯道)・李穎・李暁の父。留台侍御史のときに譙王の李重福を討伐して戦功を挙げた。玄宗(李隆基)の治世に北海郡太守に任命され、「李北海」とも呼ばれた。文才が高く、同時に行書の名手であった。碑文に優れ、撰書を手掛けたものは800本におよび、巨万の富を得たといわれる。晩年は唐の宗室の李林甫に警戒されて、投獄された挙句に杖殺されて、非業の死を遂げた。71歳であった。
  3. 李ヨウ (カク王) : 唐の皇族で、高祖(李淵)の曾孫、虢荘王の李鳳の孫、定襄郡公の李宏(曹州刺史)の子、李巨・李承昭・李承旺・李晊の父、李則之(李巨の子)・李済(李承旺の子)・李望之(李晊の子)の祖父。虢王に封じられて、沁州刺史・不知州事を歴任し、衛尉まで累進した。

脚注[]

  1. 現在の河南省濮陽市清豊県
  2. 現在の江蘇省蘇州市江都区
  3. 高祖武帝の蕭衍の長子。