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李式(りしょく/りしき)とは、古代中国の部将。約3名ほど存在する。

  1. 李式 (漢) : 北地郡[1]の人。後漢末の部将の李傕の子[2]、郎中令・侍中[2]李儒董卓の配下)の族子[3]。生母の何氏に溺愛され、父の政敵である郭汜が李式を人質に求めたが、何氏はこれを拒み、代わりに李式の姉妹が人質に出された[2]。198年夏4月に曹操が派遣した裴茂[4]・段煨に討伐され、父とともに三族皆殺しにされた[3]
  2. 李式 (晋) : 字は景則。江夏郡平春県[5]の人、祖籍は趙郡[6]で、本貫は潁川郡襄城県[7]東晋の官吏・書法家である。の部将の李通の玄孫、李緒の曾孫、李秉の孫、李重の子、李充の従兄にあたる。官職は侍中まで累進した。
  3. 李式 (北魏) : 趙郡[8]の人。トルコ系鮮卑拓跋部の北魏の部将である李霊・李恢父子の一族。

脚注[]

  1. 現在の陝西省渭南市富平県/甘粛省慶陽市富平県
  2. 2.0 2.1 2.2 東晋の袁宏著『後漢紀』孝献帝紀が引用する『献帝起居注』の「汜、傕許和、質其愛子…傕之子式…傕妻愛式、和計未定…不以男、各女為質。」より。
  3. 3.0 3.1 元本』(『元大徳九路本十七史』、元の大徳10年に池州路儒学によって刊行された『三国志』関連文献書)より。
  4. 字は巨光。裴潜・裴儁・裴徽の父、裴松之(裴徽の6世の孫)の7世の祖にあたる。
  5. 晋代は鍾武県で、現在の河南省信陽市。
  6. 現在の河北省邯鄲市
  7. 現在の河南省許昌市襄城県
  8. 現在の河北省石家荘市(晋代の趙郡とは、若干異なる)

関連項目[]