李 豊(り ほう)とは、中国の人物。約6名ほど存在する。
- 李豊 (後漢末) : 後漢末の袁術の部将。
- 李豊 (蜀漢) : 南陽郡(現在の河南省南陽市)の人。蜀漢(蜀)の政治家。李厳(李平)の子。諸葛亮の信頼が篤く、父が汚職で懲戒免職されると、諸葛亮に公平であることを諭された。官位は朱提郡(犍為属国)太守に至った。
- 李豊 (曹魏) : 三国時代の魏の政治家。字は安国、李義の子、李韜・李婉(字は淑文、賈充の前妻)の父。冗従僕射の劉賢とともに大将軍の司馬師と中領軍の司馬昭兄弟の暗殺を目論んだが、露見されて一族皆殺しの刑を受けた。
- 李豊 (晋) : 晋の部将。晋の宗室である新蔡武哀王の司馬騰(東海孝献王・司馬越の弟)の配下であったが、反乱を起こし殺害された。後に、その部下が司馬騰一族を殺害することに成功した。
- 李豊 (唐) : 唐の宗室のひとり[1]。
- 李豊 (五代) : 宋(北宋)初期の官吏である李沆の曾祖父。唐末あるいは五代時代の人物で泰陵県の令であった。