武田 成信(たけだ なりのぶ)とは、陽成源氏(河内源氏)の義光流武田氏(常陸源氏/甲斐源氏)の人物で、約3名ほど存在する。
- 武田成信 (常陸武田氏) : 官職は刑部大輔。常陸武田氏は南北朝時代に武田信久[1]が常陸国行方郡高家郷[2]に入り、常陸武田氏の祖となった。信久の子、信俊(信利)の父。永享の乱(1438年)以降に西砦を築いた。
- 武田成信 (庁南武田家) : 庁南武田家(上総武田氏)の当主の武田氏信の子。遠縁の同族の徳川秀忠の直参旗本となって、元和2年(1616年)に没した以降の庁南武田家の動向は不詳である。
- 武田成信 (江戸時代) : 河窪信実の末裔。伊勢国津藩の藤堂氏の家老であった。宝暦13年(1763年)に藤川宿で没した。