日本通信百科事典

武田 義信(たけだ よしのぶ)とは、陽成源氏河内源氏)流武田氏常陸源氏/甲斐源氏)一門の武将。約2名ほど存在する。

  1. 武田義信 (准三管領) : 初名は信行、通称は太郎。武田信玄晴信)の長子、海野信親(勝重[1])・西保信之の同母兄、勝頼仁科盛信信盛[2]/晴清[3]/晴近)・葛山信貞義久)・安田信清の異母兄、守随信義の父。父と対立した揚句に『義信事件』を起こして、廃嫡されて1567年10月に東光寺で病死した[4]
  2. 真里谷義信上総国における上総国守護の上総武田氏(上総源氏)の庶家である真里谷氏の当主である真里谷信勝信嗣)の孫、信秋(全芳斎/全方斎)[5]の子、信房の弟。

脚注[]

  1. 『武田信玄』(笹本正治/ミネルヴァ書房/2005年)頁119より。
  2. 『甲乱記』と天正9年(1581年)5月7日付霊松寺宛禁制より。
  3. 『戦国人名事典コンパクト版』(阿部猛・西村圭子/新人物往来社/1990年)頁596より。
  4. 自害した説もある。
  5. 信清信保)(信隆・信応(信高の父))の弟、信次(信助)(信茂の父、信潔の祖父)の兄。

関連項目[]