源 為義(みなもと の ためよし)とは、陽成源氏(河内源氏)一門の武将。約2名ほど存在する。
- 源為義 (陸奥四郎) : 別称は鎌倉為義、通称は陸奥四郎。源義親の子、義信・義俊・義泰の弟、義行・宗清・堀江頼純(塩谷冠者)の兄、義朝(義頼)・義賢・義広(義憲/義範)・頼賢・頼仲・為宗・為成・為朝・為仲・行家(新宮十郎義盛)の父。父が白河法皇の不興を買って、出雲国で反乱を起こすと、勅命を受けた平正盛によって誅伐された。以降は同母弟の宗清・堀江頼純[1]とともに祖父の養子となった。後に従祖父の新羅三郎義光の陰謀に関わって、義光の異母兄でおなじく従祖父の賀茂次郎義綱父子を討伐して、これを滅ぼした。以降は左衛門尉・検非違使を歴任し、『保元の乱』では、長子の義朝と対決して、これに大敗した。義朝の懸命の助命が叶わずに、涙を呑んだ義朝の手勢によって、息子たちとともに処刑されて、晒し首となった。享年62。
- 石橋為義 : 斯波氏(奥州源氏)一門の下野石橋氏(下野源氏)の当主の石橋貞義の子、久義の弟、照義・実義の兄。
脚注[]
- ↑ 下野源氏の下野堀江氏(摂津堀江氏)の祖。