源 祐義(みなもと の すけよし)とは、陽成源氏(河内源氏)流の武将。約数名ほど存在する。
- 源祐義 (覚義入道) : 通称は刑部太郎、法号は覚義入道、官職は刑部勾当/式部大輔。新羅三郎義光の庶長子、佐竹義業(義成)・逸見義清(武田義清)・平賀盛義・岡田親義の兄。実義・実光・富士義長[1]室の父。白河上皇に仕えて、永保2年(1082年)に刑部勾当となり、応徳3年(1086年)に式部大輔に累進した。晩年は出家して、上記の「覚義入道」と号した。永久5年(1117年)に父に先立って逝去して、子の実義が後を継いだ。
- 佐竹祐義 : 上記の佐竹義業を祖とする佐竹氏(常陸源氏)一門の武将。約2名ほど存在する。
- 石橋祐義 : 足利氏(下野源氏)流斯波氏(奥州源氏)一門の下野石橋氏の当主の石橋和義の孫、棟義[2]の子、房義の父、清房の祖父。
- 脇屋祐義 : 脇屋義助の曾孫、義治の孫、義則(義隆)[3]の子、義行の弟。族父の新田貞方(義邦)・貞邦(貞国)父子とともに同族の足利氏(下野源氏)と戦うが、1404年に相模国箱根底倉で潜伏していたところに鎌倉府によって捕捉されて、父と兄とともに処刑されたという。