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源経忠

清和源氏源氏)の祖・源経忠

源 経忠経明経義(みなもと の つねただ/つねあき/つねよし、生没年不詳[1])は、日本の皇族。清和天皇の曾孫、貞純親王の孫、源経基(六孫王)[2]と橘繁古の娘あるいは藤原敏有の娘との間の子[3]、経生(つねなり)[4]の甥、経邦(公節)の従兄、経高の父。清和源氏の祖となる[5][6]

概要[]

953年(天暦7年)に従父(父の従兄)の元平親王の養子となり、「陽成源氏」の系統と称する『王氏爵不正事変』を起こしたため[7]、朝廷からはその件は認められず[5][6]、そのために彼は遠方に遠流された[8]

彼は鎌倉時代の公家貴族(堂上家)である竹内家の祖で、経忠の6世の孫である竹内信治(左近将監)・氏治(竹内大夫)父子がいる。竹内家の庶家には垪和(はが)家・杉山家などがある。

脚注[]

  1. 生年は、917年(延喜17年)の説がある。
  2. 経基の生没年は、900年~944年/914年~958年などの説がある(国会図書館蔵の『各家系譜』と『続華族系譜』内にある『子爵青木周蔵家譜略』および、『皇胤誌』による)。
  3. 『陽成源氏の幻想』(宝賀寿男/姓氏と家紋56号/1989年)
  4. 生年は、912年(延喜12年)とする。
  5. 5.0 5.1 東京帝国大学文学部の名誉教授の星野恒は、『源頼信告文』を引用して経基の父の貞純親王が早世したため、経基は伯父の陽成天皇の養子になった説を唱えている。
  6. 6.0 6.1 『清和源氏』(朧谷寿/教育社歴史新書 日本史39/1984年)では、「なにがかれらに高貴な出自の意識を失わせたのか?」と述べている。
  7. 『世ノ所謂清和源氏ハ陽成源氏ニ非サル考 - 源朝臣経基の出自をめぐって - 』(赤坂恒明/聖学院大学総合研究所 紀要No.25/2003年)337頁~373頁より。
  8. 『権記』・『小右記』・『清慎公記』など。

関連項目[]