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源 維義(みなもと の これよし)とは、陽成源氏河内源氏)流の武将。約6名ほど存在する。

  1. 大内維義 : 通称は大内冠者義光流信濃平賀氏信濃源氏)一門の平賀義信の子、隆信・朝信朝雅[1]小早川景平の兄、維信[2]・維親・家信・維家(義海)らの父。信濃大内氏の祖となった。
  2. 源維義 (松井冠者)鎌倉維義とも呼ばれる。通称は松井冠者源義平[3]と祥寿姫[4]との間の子、季義義実の父、為維(季義の子)・実信(義実の子)の祖父。幼くして父を失い、外祖父の新田義重に養育された。叔父の源頼朝が挙兵すると、馳せ参じるが、かえって維義の勇猛さが警戒された。後に叔父の頼朝と対決して、同世代の叔父の義経と組んで、行動をともにした。義経が非業の死を遂げると、維義の動向は定かではなくなった。一説では、頼朝亡き後の源家粛清に動いた北条義時の詮索政策によって、1220年前後に子の季義・義実や孫の為維(季義の子)・実信(義実の子)とともに殺害されたという。
  3. 堀江維義 : 通称は弥次郎/喜連川冠者。源義親の玄孫、堀江頼純下野堀江氏(摂津堀江氏)の祖)の曾孫、維純(頼賢)の孫、維広の子、維守の弟、義房頼房の兄、維縄(これつな)の父。
  4. 小場維義佐竹氏常陸源氏)一門の源姓小場氏の初代当主の小場義躬の子、義信の父。
  5. 逸見維義逸見義経基義)の子、久義義信の兄、義重の父。子の義重とともに北条得宗家に従って、『承久の乱』で戦功を挙げた。
  6. 今井維義新田氏の第6代目の当主の新田基氏の末子、比丘尼妙蓮院(岩松政経(道定入道)室)・朝氏(第7代目の当主)[5]満氏義政)・義量(義円)の弟、朝谷義秋室の兄、清義(浄蓮入道)の父。伯父の今井維氏[6]の婿養子となった。

脚注[]

  1. 朝経・宗覚(僧侶)の父、朝村(朝経の子)の祖父、貞経・貞義の曾祖父。
  2. 維忠・維時・維基・能勢国宗(遠縁筋の能勢資国の猶子(『尊卑分脈』))の父、維治(維忠の子)と維親・西郷信治(維時の子、源姓西郷氏の祖)兄弟の祖父。
  3. 通称は鎌倉太郎、俗称は悪源太
  4. 新田義重の娘。
  5. 別称は氏光/朝兼(『尊卑分脈』が引用する『長楽寺文書』「新田朝兼在家畠地買券」5月28日付放券・「関東下知状」8月23日付の書状)/政朝新田義貞脇屋義助の父。
  6. 今井維清の父。上野今井氏の祖となった。

関連項目[]