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源 義亮(みなもと の よしあき/よしすけ)とは、陽成源氏河内源氏)一門の武将。約2名ほど存在する。

  1. 額田義亮源姓佐竹氏常陸源氏)一門の常陸額田氏の最後の当主。額田義直義尚)の9世の孫、政直[1]の8世の孫、盛直の7世の孫、行直の6世の孫、胤直の玄孫、昌直[2]の曾孫、秀直の孫、義連の子。同族の山入与義(ともよし)・長倉義景稲木義信とともに藤原北家勧修寺流一門の上杉氏(山内上杉家)の当主である関東管領の上杉憲定の次子で、源姓佐竹氏の最後の当主である佐竹義盛の婿養子である佐竹義仁義憲/義人)[3]の佐竹氏惣領家の相続に対して、反乱を起こしたが、返り討ちされて山入氏とともに滅亡の憂目にあった。
  2. 世良田義亮(1856年10月3日~1900年8月1日) : 後に(たすく)と改名した。明治時代の軍人(海軍少将)。江戸時代末期の信濃国上田藩の上級藩士の世良田義隆の子。おそらく、新田氏上野源氏)一門義季流世良田氏の末裔と思われる。1875年(明治8年)にアメリカに渡米し、アナポリス海軍兵学校を卒業して、1881年(明治14年)に帰国した。『日清戦争』では天竜艦長をつとめ、1900年(明治33年)に軍艦三笠回航委員長・海軍少将を歴任した。日本基督(キリスト)教会信徒として、植村正久の教会設立を補佐したが、同年の夏に病死した。享年46。

脚注[]

  1. 義基の弟。
  2. 額田義教義兼)の婿養子。
  3. 藤姓佐竹氏(常陸藤原氏)の祖。