王渾(おうこん)とは、中国の三国時代~晋(西晋)初期の人物で、瑯琊王氏と太原王氏[1]などが約3名ほど存在する。
- 王暉 : 「王渾」とも呼ばれる。瑯琊郡皋虞県[2]の人。秦の将軍の王翦の7世の孫、王賁の6世の孫、王離(王安仁)の玄孫、王元の曾孫、王頤(王忠/王廷臣)の孫、王楽の子、王曜(王之曾)・王皎の兄、王吉の従高祖父にあたる。
- 王渾 (瑯琊王氏) : 字は長源。瑯琊郡臨沂県[3]の人。上記の王渾の弟の王曜の系統である丞相領長吏の王必の孫[4]、幽州刺史の王雄の子、王乂[5]の兄、王戎[6]の父。貞陵亭侯に封じられて、涼州刺史となった。竹林の七賢の阮籍・山濤と交流があった。
- 王渾 (太原王氏) : 字は玄沖。太原郡祁県[7]の人。後漢末の王允の族孫にあたり、王昶の子、王湛の兄、王尚・王済・王澄・王汶の父、王卓・王聿の祖父。彼の末裔は東晋において繁栄することになった。