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王甫(おうほ)とは、古代中国の人物。約2名ほど存在する。

  1. 王甫 (後漢) : 別称は王酺後漢末の宦官。一族の王萌・王吉兄弟の養父。同じ宦官である中常侍の曹節とともに霊帝劉宏)に仕えた。172年に霊帝の族兄である渤海王の劉悝[1]が驕恣で、(霊帝に不満を持つ)中常侍の鄭颯と中黄門の董騰らによって擁立されたという理由で讒訴して、これを葬っている。また、陳愍王の劉寵も取り調べている。しかし、179年4月にかつて配下だった永楽少府の陳𡌋[2]と陽球らが、霊帝に直訴して弾劾した結果として、王甫は逮捕投獄され養子の王萌・王吉兄弟とともに誅殺された[3]
  2. 王甫 (蜀漢) : 字は国山。蜀漢)の部将。広漢郡郪県[4]の人。王士の従弟、王祐の父。凛々しい風貌を持ち、行政手腕に巧みだった。はじめは劉焉劉璋父子に仕え、書佐となる。後に劉備に仕えて、緜竹県の令を経て、荊州議曹従事となり、一時的に関羽を補佐したことがあった。後に中央に召還され、221年7月に劉備が孫権を親征する際に随軍司馬として従軍した。翌年に大敗したため、南郡秭帰県[5]で、壮絶な戦死を遂げた(『夷陵の戦い』)。父の後を継いだ子の王祐は、亡父の面影があり、官位は尚書右選郎に至った。

脚注[]

  1. 威宗桓帝劉志)の弟、平原王の劉碩の兄。
  2. 陳珪の叔父。
  3. 『後漢書』「宦者列伝」
  4. 現在の四川省徳陽市中江県
  5. 現在の湖北省宜昌市興山県