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王融(おうゆう)とは、中国の人物。ほとんどが瑯琊王氏で、約3名ほど存在する。

  1. 王融 (後漢) : 後漢の官僚。字は巨偉。瑯琊郡臨沂県[1]の人。王遵の曾孫、王音の孫、王仁[2]の子、王誼・王叡[3][4]・王典の弟[5]王祥・王覧の父。
  2. 王融 (中書郎)南斉の官僚・文人。字は元長。瑯琊郡臨沂県の人。東晋の王洽(王導の第3子)の6世の孫、王珣の玄孫、王弘の曾孫、王僧達の孫、王道琰の子、王倹の甥。南斉に仕えて、中書郎となる。皇族の竟陵王の蕭子良の信頼があつく文人として名高かったが、西昌王の蕭鸞(後の高宗明帝)と対決して、竟陵王の父で西昌王の兄の世祖武帝(蕭賾)が崩じると、彼は竟陵王を擁立すべく近衛兵を率いて西昌王を阻んだ。このため彼は西昌王のみではなく、皇太孫の鬱林王(蕭昭業)の恨みを買う結果となった。窮地に陥った王融は竟陵王の援助を求めたが、すでに王融は皇太孫と西昌王の勅命で逮捕投獄されて、賜死を受けて自決した。享年28。
  3. 王融 (太子中庶子) : 南斉の官僚。瑯琊郡臨沂県の人。上記の中書郎の王融の族父、王劭(王導の第5子)の玄孫、王僧朗の曾孫、王穆の孫、王免の子、王琛・王彪・王爽・王弼・王粛・王秉の兄。南斉に仕えて太子中庶子となる。父が武帝の逆鱗に触れて誅殺され、連座として王融も弟たちとともに処刑されて、晒し首となった。

脚注[]

  1. 現在の山東省臨沂市蘭山区
  2. 『新唐書』唐宰相世系表十二中では王音と同人物とする。
  3. 字は通耀。荊州刺史だったが、190年に孫堅烈祖武帝)に包囲されて、金毒を飲んで自決した。
  4. 裴松之が引く『王氏譜』による。
  5. 『晋書』王祥伝