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王雄(おうゆう)とは、中国の人物で、約3名ほど存在する。

  1. 王雄 (瑯琊王氏)の部将。字は元伯。瑯琊郡臨沂県[1]の人。瑯琊王氏[2]のひとり。荊州刺史の王叡の族子で、王祥の族兄弟、王曜(王之曾)[3]の末裔で、父は曹操の挙兵から従った古参である丞相領長吏の王必とされ[4]王渾[5]・王乂[6]の父、王戎[7]王衍[8]王澄[9]王詡[10]兄弟の祖父。に仕えて安定郡太守の孟達の推挙を受けて、幽州刺史となった。235年に、勅命で魏に繰り返して叛いていたトルコ系鮮卑の大人(単于)の軻比能[11]に対して、配下の韓龍に命じ派遣してこれを殺害させた。
  2. 王雄 (北周) : 西魏~北周の部将。字は胡布頭。太原郡[12]の人。王崙の子、王謙の父。氏素性は漢化したトルコ系匈奴出身と見られる。初めはトルコ系高車の一酋長と見られる賀抜岳に従った。後に西魏の孝武帝(元脩/元修)[13]に従った。数年後に、北周の宇文泰[14]太祖文帝)に仕えて、庸国公に封じられた。564年、病を押して晋王の宇文護[15]に従い、邙山で北斉の名将の斛律光[16]と戦うも、斛律光の放った矢が額にあたり、陣没した。「忠公」と諡された。
  3. 王雄 (明)の官僚。武宗正徳帝(朱厚照)の治世に科挙に及第した。

脚注[]

  1. 現在の山東省臨沂市蘭山区
  2. の将軍の王離の子である王元(瑯琊王氏の祖)・王威(太原王氏の祖)兄弟の後裔であり、太原王氏とは同族である(『新唐書』宰相世系表二中)。
  3. 王暉(王渾)の弟。
  4. 元本』(『元大徳九路本十七史』)
  5. 字は長源。
  6. 字は叔元。
  7. 字は濬沖。王万・王興の父で、七賢の一人。
  8. 字は夷甫、王玄の父。
  9. 字は平子。
  10. 字は季胤。
  11. 桓帝劉志)の時代の鮮卑の大人・檀石槐の女婿。
  12. 現在の山西省太原市
  13. 北魏(代魏)を建国したトルコ系鮮卑拓跋部の嫡流。
  14. 鮮卑化した匈奴宇文部の大人(単于)。
  15. 宇文顥の子、宇文什肥・宇文導の弟、宇文訓・宇文会・宇文至・宇文静・宇文深・宇文乾嘉・宇文乾基・宇文乾光・宇文乾蔚・宇文乾祖・宇文乾威らの父、宇文泰の甥。
  16. トルコ系鉄勒(勅勒)斛律部の酋長。