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甲斐源氏(かいげんじ)とは、日本の氏族で、陽成源氏美濃源氏摂津源氏河内源氏)の系統であり、幾多かの系統に分かれている。

  1. 武田氏 : 河内源氏義光流武田義清(逸見義清)の嫡流。常陸国那珂郡武田郷(現在の茨城県ひたちなか市武田大字)を本拠地とした(常陸源氏)。大治5年(1130年)に義清の嫡男の清光の狼藉行為が原因で、義清父子は常陸国を追われて甲斐国巨摩郡市河郷(現在の山梨県西八代郡市川三郷町)、あるいは中巨摩郡西条(西條)郷(現在の山梨県中巨摩郡昭和町西条大字)へ配流されて、以来から清光の次子の信義を祖とする。さらに拠点を北巨摩郡武田郷(現在の山梨県韮崎市武田大字)と改称して定住し、甲斐源氏の嫡流になったという。通字は「」「」。数多くの庶家を排出した。
  2. 逸見氏 : 上記の義光流の庶宗家で、清光の嫡長子の光長を祖とする。同国北巨摩郡逸見郷(現在の同県北杜市逸見大字)を本拠地とした。後に逸見氏が没落すると武田氏が甲斐源氏の嫡流としての地位を確立した。
  3. 甲斐河内氏 : 清光の第4子の河内長義を祖とする。同国八代郡小石和郷河内村(現在の同県笛吹市石和町河内大字)を拠点とした。
  4. 加賀美氏 : おなじく義光流の庶家で、加賀美遠光(清光の弟)を祖とする。同国巨麻郡加賀美郷(現在の同県南アルプス市加賀美大字)を本拠地とした。遠光の第4子の光経が後を継いだ。
  5. 秋山氏甲斐秋山氏とも呼ばれる。加賀美氏の庶家で、遠光の長子の光朝を祖とする。同国巨摩郡秋山郷(現在の同県南アルプス市秋山大字)を本拠地とした。
  6. 南部氏 : おなじく加賀美氏の庶家で、遠光の第3子の光行を祖とする。同国巨摩郡南部郷(現在の同県南巨摩郡南部町)を本拠地とした。後に陸奥国糠部郡三戸郷(現在の青森県三戸郡三戸町)を本拠地とした(奥州源氏)。
  7. 於曾氏 : おなじく加賀美氏の庶家で、遠光の第5子の経行を祖とする。同国山梨郡於曾郷(現在の同県甲州市塩山地区於曾大字)を本拠地とした。庶家に酒依氏がある[1]
  8. 教来石氏源姓多田氏国頼流美濃馬場氏(美濃源氏)の庶家[2]。同国巨摩郡教来石郷(現在の同県北杜市白洲町上教来石大字)を本拠地とした。南北朝時代末期に教来石信明(駿河守)が甲斐国守護の武田信重の女婿となった。戦国時代に、一門の教来石信保(虎貞[3])の子の信房(後の馬場信春)が出た。
  9. 金丸氏足利氏下野源氏)流源姓一色氏三河源氏)一門の源姓土屋氏の庶家。もともとは上記の武田信重の子の金丸光重を祖としたが、彼には嗣子がなく、遠縁筋の土屋範貞(一色詮範の子、満範の弟)の曾孫の藤次(土屋範次の孫、藤直(ふじただ)の子)が甲斐国に下向して、光重の婿養子となって金丸光信と改称して、その後を継いだ。同族に源姓久松氏[4]源姓丹羽氏がある。
  10. 越智松平家徳川氏松平氏)の直系である江戸徳川家(徳川将軍家)流甲府徳川家一門。甲府藩主・徳川綱重の子で、松平綱豊(徳川家宣)の弟の松平清武吉忠[5]/清宣)[6]を祖とする。しかし、清武の子の清方に嗣子がなく、同族である名古屋徳川家一門の松平義行の子の武雅(行高)を養子に迎えた。以降からは水戸徳川家常陸源氏)など同族から養子を迎えて、明治時代以降まで続いた。

脚注[]

  1. この系統から酒依昌光(板垣信安)が輩出した。
  2. 『馬場家譜』による。
  3. 読みは「まささだ」。
  4. 庶家に松平久松家がある
  5. 読みは「とみただ」。
  6. 生母の身分が低いために、家臣の越智喜清(清重)の婿養子となった。

関連項目[]