足利 範頼(あしかが のりより)陽成源氏(河内源氏)流足利氏(下野源氏)一門の武将。約2名ほど存在する。
- 一色範頼 : 源姓一色氏(三河源氏)一門の武将。室町時代の初期の延文2年(1357年)に、その存在が確認される。それによると九州探題をつとめて、日向国の土豪の物部姓田部氏一門の土持氏の当主の土持貞綱に対して、兵糧料所としての新納院地頭職を委ねて、感状を発した。さらに、貞綱の一族の土持宣栄の子の時栄に対しても、感状を発した。彼の後任は、同族の斯波氏(奥州源氏)一門の末野氏経であった。
- 小鹿範頼 : 幼名は千代秋丸。三河吉良氏(三河源氏)流今川氏(駿河源氏)の当主の今川泰範の孫、範政[1]の子、範豊・範忠[2]・範勝の弟、範満・範慶(のりのり)の父。小鹿氏の祖となった。