足利 経国(あしかが つねくに)とは、陽成源氏(河内源氏)流足利氏(下野源氏)一門の武将。約2名ほど存在する。
- 田島経国 : 通称は又六郎/七郎。畠山義純の孫、岩松氏(上野源氏)の祖の岩松時兼[1]の子、村田頼兼・寺井氏兼・金井長義[2]・田部井経氏・岩松経兼・薮塚朝兼[3]の弟、政国(又太郎)の父、泰治の祖父、経政(又五郎/遠江守)の曾祖父、経栄(小四郎)の高祖父。上野国新田郡田島郷[4]を拠点として、上野田島氏の祖になった。孫の泰治は同族の新田義貞に従って、惣領家の足利尊氏(高氏)と対峙して、1334年の武蔵国の『女影原の戦い』で戦死を遂げた。曾孫の経政は父の後を継いで、1338年に伊予国守護となった。玄孫の経栄は新田義宗(義貞の子)に従って、1352年の武蔵国の『笛吹峠の戦い』で大敗して武蔵国那珂郡阿那志郷[5]に逃れた。以降から惣領家の足利氏一門の鎌倉足利家(鎌倉公方)の祖の足利基氏(尊氏の子)に帰順して、被官となった。
- 今川経国 : 通称は五郎。三河吉良氏(三河源氏)の祖の吉良長氏の孫、今川氏(駿河源氏)の祖の今川国氏の子、基氏・関口経氏(常氏)・俊氏・政氏の弟、親氏の兄。兄の関口経氏の養子になったとされるが、詳しいことは不詳である。