足利 義宗(あしかが よしむね)とは、陽成源氏(河内源氏)流足利氏(下野源氏)一門の武将。約数名ほど存在する。
- 戸賀崎義宗 : 矢田義清の孫、広沢義実の子、仁木実国[1]・細川義季の弟、宗氏・荒川満氏の父、清氏(宗氏の子)と満義・頼清(荒川満氏の子)の祖父。1190年(建久元年)に、下野国安蘇郡赤見郷[2]に赴任して、赤見城(佐野城)を築城した[3]。後に惣領家の足利義氏が『承久の乱』で戦功を挙げて三河国守護になったために、義宗は三河国に移住して戸賀崎氏(三河源氏)の祖となった。
- 斯波義宗 : 斯波氏(奥州源氏)一門の武将。約2名ほど存在する。
脚注[]
- ↑ 仁木氏の祖で、義俊の父。
- ↑ 現在の栃木県佐野市赤見大字
- ↑ この逸話は1184年の『水島の戦い』で戦死した祖父の義清の享年を考慮すると、まだ幼少だった義宗にとっては年代的に適合せず、義宗の父の義実が実施した事項であろうとされている。
関連項目[]