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足利 義将(あしかが よしまさ)とは、陽成源氏河内源氏)流足利氏下野源氏)一門の武将。約2名ほど存在する。

  1. 斯波義将武衛義将とも呼ばれる[1]斯波氏奥州源氏)の当主の斯波高経[2]の子、高水寺家長末野氏経氏頼の弟、大野義種の兄、義重義教)の父。
  2. 足利義将 (足利冬氏の子)足利尊氏高氏)の曾孫、直冬[3]の孫、冬氏[4]の子、義尊の弟。はじめは僧侶であったが、族兄である足利将軍家の当主・足利義教を弑した赤松満祐・教康父子によって、兄とともに擁立されて還俗するが、満祐父子が自害すると備中国から播磨国に逃れようとして、足利氏一門である備中国守護・細川氏久(勝久の父)の軍勢に討ち取られ、その首級が7月28日頃に京に届けられたという[5]。享年20余という。

脚注[]

  1. その直系は尾張武衛氏尾張源氏)と称した。
  2. 家光の弟、大崎家兼時家)の兄。
  3. 邦氏(竹若丸)の弟、義詮基氏の兄。
  4. 成直・等珊(僧侶)・等章(僧侶)・乾桃(僧侶)・宝山乾珍(僧侶)の兄。
  5. 『建内記』

関連項目[]

  • 源義将