足利 義泰(あしかが よしやす)とは、陽成源氏(河内源氏)流足利氏(下野源氏)一門の武将。約2名ほど存在する。
- 足利義康 (陸奥守) : 別称は義泰/義保、法号は道達入道。足利氏の祖で、義国(義頼)の次子、新田義重の異母弟、矢田義清・梁田義長(簗田義良)・義兼(義包)・義房(季邦入道)の父。父から将来を期待されたが、晩年に出家して41歳の若さで逝去した。
- 今川義泰 : 初名は西尾義泰、通称は彦三郎/主馬。品川高久[1]の6世の孫、高如(たかゆき)[2]の玄孫、松平重治の曾孫、品川伊氏(これうじ)[3]の孫、今川範主(のりぬし)[4]の子、今川範彦・松平勝文の弟、義彰(義幹(よしもと))の父、義用(よしもち)の祖父、義順(よしまさ)・西尾治彦(吟次郎/左衛門)の高祖父、範叙(国広/国寛とも、義順の子)の6世の祖、淑仁(きみひと)の7世の祖。嗣子がなかった長兄の範彦の後を継いだ。
脚注[]
関連項目[]
- 源義泰