日本通信百科事典

足利 義満(あしかが よしみつ)とは、陽成源氏河内源氏)流足利氏下野源氏)一門の武将。約2名ほど存在する。

  1. 足利義満 (太政大臣) : 幼名は春王丸、別称は日本国王恭献王)、法名は道義入道/道有庵足利義詮の子、尊詮(千寿王丸)・柏庭清祖(僧侶)の弟、満詮(詮氏)・廷用宗器(僧侶)の兄、友山清師(尊満)・宝幢若丸(冬満)・義持義嗣義教義宣)・仁和寺法尊(僧侶)・虎山永隆(僧侶)・大覚寺義昭(尊有[1])・梶井義承(僧侶)の父。
  2. 渋川義満 : 通称は新右衛門、官職は宮内大輔上野渋川氏上野源氏)一門の備後渋川氏の当主の渋川義正の子。毛利氏の庇護を受けた父の後を継いで、備後国小童山城の城主になったが、嗣子がなく、1572年に逝去した。このために備後渋川氏は断絶した。

脚注[]

  1. 読みは「たかもち」。

関連項目[]