長尾 政景(ながお まさかげ)とは、碓井姓鎌倉氏流長尾氏一門の武将。約2名ほど存在する。
- 長尾景広 : 初名は政景、幼名は鳥房丸。白井長尾家の当主の長尾憲景の子、憲春・輝景の弟、景郷の父。
- 長尾政景 (道達入道) : 法名は道達入道。上田長尾家(坂戸長尾家)の当主の長尾房長の子、大井田景国[1]・通天存達(僧侶)の兄、能景・上杉景勝(顕景)の父、定勝(景勝の子)の祖父、綱勝(実勝)の曾祖父。族弟で妻の弟でもある上杉謙信(景虎(かげまさ)/政虎(まさまさ)/輝虎(てるまさ))の密命を受けた宇佐美定満によって、野尻池で謀殺されたという。享年40。嫡子の能景は早世し、次男の顕景は謙信の養子となり、代わって一族の長尾時景(喜七郎)が婿養子となり、政景の後を継いだという。後に時景は謙信の養子になったという。