関岡氏の家紋(酢漿草)
関岡氏(せきおかし)は、新田氏(上野源氏)流大舘氏一門で、伊賀源氏とも呼ばれた。伊賀国名張郡関岡郷[1]を拠点とした。同族に綿打氏・金谷氏があった。
大舘氏明[2]の次男の氏清が、伊勢国の国司の北畠顕能[3][4](村上源氏北畠家(伊勢源氏)の当主)に仕えて、1361年に伊賀国名張郡関岡郷を拠点をかまえて、関岡氏と称した。氏清は1412年8月19日に77歳で逝去した。
関岡氏は戦国時代まで存続して、義元・義末兄弟の代に、織田信長・信雄父子が起こした『天正伊賀の乱』に巻き込まれたために、止むなく伊賀国から撤去して惣領家の大舘晴光を頼って山城国に移住したが、ともに嗣子がなく関岡氏は断絶した。
- 関岡氏清 : 大舘氏宗[5]の弟、大舘義冬[6]・金谷成氏[7]の兄。
- 関岡氏隆
- 関岡氏則 : 氏元の弟。
- 関岡清祐 : 氏光の弟。
- 関岡義実 : 義重・実氏の兄。
- 関岡義元 : 義末の兄。
- ↑ 現在の三重県名張市神屋町関岡大字
- ↑ 大舘宗氏の子、幸氏・宗兼・氏兼・時氏の兄。
- ↑ 読みは、あききよ/あきたか/あきのぶ/あきのり/あきひさ/あきみち/あきむね/あきやす。
- ↑ 北畠家の宗家である中院定平(義定/良定(ながさだ))の子、定清・雅平の弟、木造顕俊・顕泰・大河内顕相の父。族父の北畠親房の婿養子となった。
- ↑ 氏親の父。
- ↑ 氏信(満信(氏冬)・満冬の父)・義信・忠則(貞忠の父)の父。
- ↑ 族父の金谷経氏(重氏の子)の後を継ぎ、阿波国守護の細川頼之に仕えた。