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陳式

陳寿の祖父”の陳式

陳式(ちんしき/ちんしょく、生没年不詳)は、『三国志』に登場する蜀漢)の部将。字は未詳。別称は「陳戒」[1]、または「陳成」とも表記される[2]

子は陳某(馬謖の参軍)、孫は陳寿、曾孫は陳苻・陳莅[3]・陳階[4]ら。彼個人の伝記はなく、多くが『蜀書』諸葛亮伝に記載されている。

概要[]

巴西郡安漢郡の人[5]。若いときは益州牧・劉璋に仕えていた(後述)。後に劉備が蜀(益州)を攻略すると、劉備に仕えた。

219年、漢中郡の攻防戦で、の食糧輸送隊を封鎖するために馬鳴閣道に駐屯するが、徐晃の襲撃で大敗し撤退した。

222年、劉備の親征に将軍として従軍し、都督・呉班[6]ととも長江に西岸にある夷陵に水軍を率いて駐屯した。

228年晩春から初夏にかけて、子の陳某(陳寿の父)が、馬謖の参軍として祁山付近の街亭[7]に布陣したが、魏の老将の張郃の食糧攻めのために、大敗した。激怒した諸葛亮は、失敗した孟達の件もあり[8]、馬謖をはじめ陳某の同僚の張休・李盛らを処刑し、晒し首とした[9][10][11](『街亭の戦い』)。

連座として陳某も処刑される予定だったが、諸葛亮は陳某の父の陳式の功績に免じて、髠刑[12]に処して、懲戒免職として無制限の蟄居を命じただけだった(後述)。しばらくして諸葛亮は後主・劉禅に上奏し、官職を三階級に降格する旨を伝えた。劉禅が慰留したため、上将軍から右将軍に降格させたのみで、従来どおり丞相は委ねて蜀漢の軍勢を引き続き統轄させた。

翌229年、諸葛亮は陳式を先鋒として、泰州の武都・陰平の両郡を攻略させた。魏の雍州刺史の郭淮は部将の陳泰(陳羣の子)を派遣して、これを迎え撃たせた。この報を聞いた諸葛亮は自ら建威県まで進撃して、陳式とともに陳泰を破り、さらに郭淮の軍勢を撃破したため、かくして両郡は蜀漢の領土になった。

この功績で、諸葛亮は勅命で右将軍から大将軍に昇格した。

以降の陳式に関する記述は皆無である。

陳式に関する隠された事項[]

『東観漢記』・『元本[13]・林国賛の『三国志裴注述』を総合した本田透『ろくでなし三国志』をもとに検証する。

  • 三国志演義』では、陳寿の父とされ、魏延とともに諸葛亮の指令に背き、大敗したため処刑される設定だが、特別に根拠はない[14]
  • 219年以前の陳式の消息は定かではないが、陳寿の祖父とすれば巴西郡安漢郡の人であり、若いころは劉璋の部将だったと推測できる[15]
  • 彼は諸葛亮の信頼が篤く、馬謖配下だった息子の陳某が連座で、処刑を免れたのは父とする陳式に配慮されたと思われる。
  • 陳寿は後年に崇拝する諸葛亮を称える『諸葛亮集』を編集しているが、これは祖父や父が諸葛亮に信頼されたことを物語ることから来ているという。

結論

陳式は陳寿の祖父と明代の『葉逢春本』に記されている。しかし、蜀漢の事項に関する記録が残っていないか、散漫したためにおそらく陳寿が生まれたときは陳式は逝去し、その記録は紛失していたと思われる。ただし、陳式(陳成)と陳寿の祖父・孫の系譜を記した明代の『葉逢春本』は別称『三国志史伝』[16]とも呼ばれ、全10巻[17]である。この文献書は、明の隆慶6年(1572年)にポルトガル人の宣教師が持ち帰り、現在のスペインの首都マドリードの国立図書館に収蔵されている[18]

脚注[]

  1. 『華陽国志』校勘記(中華書局)が引く『華陽国志』「劉先主志」および、北宋の司馬光の著『資治通鑑』より。
  2. 『葉逢春本』
  3. 陳苻・陳莅はともに陳寿の甥(兄の子)である(明代の『葉逢春本』)。
  4. 陳寿の子。
  5. 現在の四川省南充市(『元本』(『元大徳九路本十七史』)および『葉逢春本』)。
  6. 劉備の外戚筋にあたる。
  7. 現在の甘粛省蘭州市永登県の東北あたり
  8. 孟達の項を参照のこと。
  9. 『蜀書』諸葛亮伝と王平伝のみの記述。馬良伝付馬謖伝では、馬謖らは投獄されて、獄死したと述べている。
  10. 馬謖と親交があった向朗は馬謖が脱獄した際に、これを見逃したため、諸葛亮の逆鱗に触れて、官位を降格されたという(『蜀書』向朗伝)。
  11. 異説では「馬謖は逃亡したが、その後捕らえられて、間もなく処刑された」と述べている(坂口和澄著『三国志人物外伝』)。
  12. 断髪の刑のこと。
  13. 正式には『元大徳九路本十七史』と呼ばれ、元の大徳10年に池州路儒学によって刊行された『三国志』関連文献書。
  14. その逸話のもとになった『晋書』陳寿伝から来ているが、父子関係は一切記されてない。
  15. 『葉逢春本』
  16. または『西班牙蔵葉逢春刊本三国志史伝』とも呼ばれる。
  17. 現在は3巻と10巻は欠本している。
  18. 陳式と陳寿の血縁関係を知りたい人は、マドリードの国立図書館に行くことをお勧めする。あるいはマドリードの国立図書館から取り寄せによる注文も可能である(ココ!⇒)。

関連項目[]