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陳登(ちんとう)とは、中国の人物。約3名ほど存在する。

  1. 陳登 (漢) : 字は元龍。陳屯の玄孫、陳亹(ちんび)の曾孫、陳某の孫、陳珪の子、陳応の弟、陳某の兄、陳粛の父。下邳郡淮浦県(現在の江蘇省淮安市漣水県)の人。後漢末の194年に徐州牧の陶謙[1]が64歳で逝去すると、孔融とともに劉備を徐州刺史の後任として、熱心に推挙した。後に曹操の配下となり、東城郡太守となり、伏波将軍となったが、40歳で逝去した。
  2. 陳登 (唐)の祈祷師。唐の宗室で宰相の李林甫と、重臣の竇群(竇羣)に用いられた[2]
  3. 陳登 (明) : 字は思考の官僚。科挙に及第して、永楽帝に仕えた。学識をもって知られて、官職は中書舎人に至った[3]

脚注[]

  1. 陶謙の父は丹陽郡余姚県長で、陶謙が幼いころに早世した(『後漢書』陶謙伝が引く『呉書』)。同時に、陶謙は丹陽郡丹陽県の人である(中華民国の盧弼著『三国志集解』)。子は陶商・陶応以外に、早世した後継ぎの長男の陶筰(または陶笮)がいたという(『元本』(『元大徳九路本十七史』))。
  2. 『新唐書』竇群伝
  3. 『明史』沈度伝